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「今を振るまうために、」

こちらの記事は

譜面絵画 vol.10『郷愁という惑星?』の公演中止に関連した企画となっております。

イベントの内容としては、

①演劇作品『郷愁という惑星?』お別れ会

②座談会「演劇の役割は混乱の中でどうあるべきか?」

の2点です。

先日こちらのイベントをオンライン(Zoom)上にて実施いたしました。

この内容をWeb記事としてまとめていきます。

 

こちらは座談会の記事となっています。

​お別れ会の模様はこちらからお読みください。

 

 

参加者(敬称略・五十音順)

牛島青

大川あやの(譜面絵画)

落合比奈

小見朋生(譜面絵画)

河﨑正太郎(譜面絵画)

黒岩玲音

黒澤多生(青年団)

小玉みのり

名古屋愛(青年団)

松浦みる(いいへんじ)

松﨑義邦(東京デスロック)

三橋亮太(譜面絵画/青年団)

宮ヶ原萌(譜面絵画)

吉池愛

(以上、『郷愁という惑星?』座組みメンバー)

 

石倉来輝(ままごと)

内田倭史(劇団スポーツ)

奥萌

並木雅弘(はりねずみのパジャマ)

土屋康平(喜劇のヒロイン)

中島梓織(いいへんじ)

本橋龍(ウンゲツィーファ)

座談会「演劇の役割は混乱の中でどうあるべきか?」

演劇の集会性とは​

三橋「それでは座談会を始めさせていただきます。今回、『演劇の役割は混乱の中でどうあるべきか?』とテーマを打ったのですが、(テーマを考えたときと)現在では意味合いが少し変わってきてるのではないだろうかと自分では考えています。演劇には芸術とイベントとしての側面があって、今回はその両点から考えて行けたらなとも思っています。こんな混乱の中で演劇にはどんな役割、価値があるのでしょうか。いかがですか。」

 

牛島「あ、じゃ、しゃべってもいいですか。」

三橋「ぜひぜひ。」

牛島「いろいろな本を読んでいて、ペストの文献とか読むと、その頃は疫病とかウイルスに対する知見が無くて、疫病が無くなることを願うために教会に祈祷しに集まって、結局それで感染が広がっちゃうみたいなことがあったらしいんですね。だから集まるってことが難しい中で演劇をするというのが難しいなって僕は思うんです。つまりはやっぱり演劇の特性っていうのは身体を集まるってことにあるんだなって思ってます。他の芸術を考えると、やり方があるから演劇ほど根本的にNOを受けてないんじゃないかなと思ってますね。今回の混乱は、演劇の集会性について新しい方法を考える機会になったんじゃないかなとも思います。演劇は絶対に身体を伴うべきだとも考えます。」

 

石倉「すごいわかります。演劇が必ずしも身体を伴わないとって思うのはどうしてですか?」

 

牛島「例えば演劇を映像化してもそれは映像なんじゃないかって思っちゃうところがあるからですね。」

 

石倉「確かに。僕が思うのは、「集まる」の再定義が必要だと思っていて、身体を伴わない集まりとして発明がないと自分は厳しいなと思っています。だから集会性とかのそこには同意するんですけど、必ずしも演劇がそうであるべきというところは、どうかなっていうか、そもそも演劇そのものの定義も必要だなって思います。自分も今回、ゆうめいっていう劇団の『あか』って作品に出演予定だったんですけど、座組みの中で中止を判断したんです。最終日に映像を録画するかって話になったんですけど、それは録画であって作品というよりかはちょっと違くて、映像にするなら映像のための稽古をしなくてはならないんだと僕は思いました。でもじゃあ、演劇ってなんだろうね。」

牛島「海外だとそういうことは「ドラマ」って言うと思うけど、最近はパフォーミングアーツっていうよね。ビジュアルアートとかともっと滑らかにつながるべきで、そういう風になるといいなと思うな。ごめん、少しまとまってないけど。」

 

三橋「えっと、もうひとつ今日話そうと思ってた話題があって、このような感じが一年とか続いたら私たちはどうしたらいいのか。っていうのを話そうと思ってます。「今、どう振るまうか」って企画だけど、「これから」を考えないと、すんなり淘汰されるようにも思えてきたんですよね。」

 

石倉「すみません、これは全員に向けての質問なんですけど、今までオンラインで稽古したことあるって方いますか。」

 

中島「こういう風に全員でやりとりするって感じじゃなかったんですけど、『ひとり多ずもう』って企画で稽古をしていたときは、企画を監修していた松井周さんに、稽古映像を送ってスカイプでメモをもらうって感じでしたね。」

 

石倉「そうなんですね。いま、自分の劇団が最近課題にしているのが集まり方についてで、稽古場にこれないと演劇が始められないみたいなことの、言葉は適切じゃないかもだけど「暴力性」についてとか、ここにいない人にどうやって情報を共有するかを考えてるんですよね。ここにいない人と演劇をつくることは可能かってところを。演劇って拘束時間が長いけれど、その期間空いている人じゃないと作品を作れないの?って思うんだよね。だから集まり方を探しています。スターウォーズってすごいなって思って、あれは理にかなってますよね。ホログラムで出来ていて。で、じゃあ稽古の模様を録音すればいいのかっていうと違くて、それを聞く時間もあるし、聞いても自分の意見は反映されない。その場に居ない人が参加できるようにしたいし、どうすればいいんだろうなって思う。」

 

黒澤「話つながるか分からないけど、母校が演劇の配信をしていて、それは記録映像じゃなくて、その時間に実際に演じているのを配信していたんですね。で、それを観ていて、記録上演でもいいじゃんと思ったけど、やっている人たちは、記録のための身体じゃなくて、観ている人たちへの身体になっていたと思うんですよね、多分。会社とかのミーティングとかは「そこにいるか」ではなくて、今その時間を共有しているかが大きいような気がしていて、その同じ時間に身体を使っているのが大事なんじゃないかなって思ってます。演劇においても、見る方もやる方も、そういう身体になることが必要なんじゃないかなって思います。でも観客がその身体になることは難しいんだろうなとも思いますね。」

 

松﨑「今の話きいてて、いいなって思いました。だから、上演の時に時間を共有できていれば良いんじゃないかなって思っていて、稽古の時は共有出来ていなくても、上演の時間が共有出来ていればいいんじゃないかって思いますね。」

 

黒澤「でも上演するには上演するための身体が必要で、その身体は稽古場で培われるんじゃないかなと思いますよ。」

 

三橋「上演のレイヤーと、稽古のレイヤーで話が分かれそうですね。」

 

黒澤「僕たちが今演劇の上演ができないのは、演劇を作る際にほとんどの時間を占めている「稽古」を行えないから上演ができないってことですよね。」

 

河﨑「この話、リモートの限界が見えていないっていうのが難しいんだろうなって思います。今日の一日だけこういう風にオンラインで稽古とかは行うことはできると思うけど、それがずっとっていうのはまだ未知だから難しいと思いますね。」

 

三橋「リモートでの創作を進めていくには、一人芝居にして作りやすくするとか、形態まるまるで考える必要があるんじゃないかもですね。」

 

石倉「こんな状況で演劇はやりたくないって思うんですよね。経済的に保証されてたりもしていないし、いろんな意味でWin-Winじゃないんですよ。」

黒澤「僕、演劇で経済的に生きている人って少ないと思っていて、ほとんどの人が演劇に何か価値を見出しているから続けていると思うんですよね。こういう風に演劇ができない状況で、演劇以外で演劇で発散していたものを発散する方法を知りたいと思ったりします。」

石倉「上演と稽古のどちらを指しているんですか。」

 

黒澤「もっと広いところの感じです。」

 

石倉「なるほど。僕はコミュニケーションが大事だと思うから、究極言うと、演劇じゃなくても良いと思っちゃうんですよね。」

名古屋「ちょっと違うかもですけど、オンラインでやっていることは演劇とかの代わりにしかならなくて、人と会いたくないわけじゃないし、触りたくないわけじゃない。会いたいし触れたいと思うと思います。ただ、選択肢のひとつとしてオンラインとかが存在していくのではないかなとも考えます。だから映像とかも選択肢の一つとしてで、代わりとして何かを探すのは今は少し違うんじゃないかなと思いますね。」

松﨑「明日会えるはずだった人と会えなくなるのが、すごい僕にとっては、代わりとかがなくて悲しい感じです。でもだから演劇に価値があるのかって言われると難しいです。」

この国における演劇

奥「私たちは演劇の広め方が少し上手じゃなかったかもしれないと思ってて、木を植えるように色んな人に演劇の役割や魅力を伝えなきゃいけなかったなって自分では思ったりします。」

 

石倉「広げるための方法とかってあったりしますか?今のそれって、日本の舞台芸術の土台のような話だなって思って、だから、それすごい広い話だなって思うんですよね。」

 

奥「そうなんだよね。」

 

名古屋「演劇っていうか芸術がね、日本だけなんですかね。こんな肩身狭い感じなの。」

 

黒澤「海外だと補償してくれるところっていうか守っているところはありますよね。」

 

奥「だから、なんで海外は補償してて守ってくれるのかを考えたほうがいいんじゃないんですかね。」

 

石倉「んー、なるほど。」

 

黒澤「お国柄っていうところじゃないかなってところもあると思います。国公立の演劇学校がないってところもそうですよね。」

 

奥「それね。」

 

黒澤「戦後の歴史的に文化が国を救ったっていう体験がないから、そうなんじゃないかな。」

 

牛島「僕、留学してた時にフランスの人に「日本にはお祭りがあるじゃない」って言われたんですよね。それは、芸術とか演劇の代わりにコミュニティを維持・形成する場としてあるよねって意味だったんですよ。だから東京に演劇の団体がたくさんあるのは、そういう意味でもあるんじゃないかなっておもいますね。東京にはお祭りがないから。」

 

河﨑「それって多分、劇場が集まる場として機能してないからですよね。」

今・これから私たちは何ができるのか?

石倉「僕いま、友達と新しい寄り合いを作ろうと思っていて、プラットホーム的な感じです。」

 

吉池「プラットホームって何ですか?」

 

石倉「台とか段って意味です。駅の乗り場とか。だから基盤とか土台の話です。」

吉池「なるほど。」

並木「これからは、映像的な方に行くのが合理的かもしれないけれど、自分はとにかくお客さんに楽しんでほしいと思っています。みなさんはもし、映像でしか演劇をできないってなったらやりますかやめますか?どちらを選びます?」

 

石倉「「演劇」を映像という形でしかやれないという状態のことですか?」

 

並木「そうです。その状態でもやりますかね。」

石倉「僕は俳優なので、俳優としてなら参加します。」

松浦「もし映像で作るってことになったら、集まっていいってことですよね。それで稽古もできるってことなら、演劇をします。作る人も見る人も小規模でやっちゃうと思います。」

 

石倉「大事なことですよねそれ。もしかしたらこれって企画作る側と参加する側でも意見が違いますよね。」

 

三橋「僕だったら、映像をすることにおける勝算のようなものがないので、やらないかもですけど、YouTuberにはなるかもしれないですね。」

 

石倉「え、めっちゃいいじゃないですか。」

演劇の創作環境や形態のこれから

石倉「譜面絵画はどうするんですか。」

三橋「石倉さん、さっき演劇とリモートの話をしてたじゃないですか。」

 

石倉「うん。」

 

三橋「それに近いというか、そのようなことをうちも考えていて、出演する人数が可変する演劇を作ろうとしています。」

石倉「もうちょっと聞きたいです。どういうことですか。」

三橋「例えば、まぁ何でもいいんですけど『ヘラクレスオオカブト』って演劇作品があったとしたら、その作品へ出演する人数が5人でも15人でも70人でも2人でも1人でも創作することができたら便利だと思います。これはテキストベースの話かもしれないですけど、空間や会場、土地にももっと寄り添うことができるんじゃないかなという風に思っています。」

石倉「なるほど。僕の所属する劇団のままごとは、集団での創作についての在り方を考えていて、前回公演の『タワー』という作品は始まったんですね。作品に対して戯曲を書こうってことになって、上演されない言葉も柴(幸男)が書いてたんですね。そのそういうところが今三橋さんが話してたところにも近いんじゃないかなって思いました。」

 

三橋「制作や俳優、作家がいることについてそれぞれの分野や役割で分かれていることを大切にして、その団体だからこその創作を考えるのが必要だと思いますね。」

 

石倉「わかります。団体としての強み的なことですね。」

 

三橋「人数の可変もこれに近いですね。」

 

並木「それ出来たらすごいですよね。」

 

三橋「そうですね。でもこれってチェルフィッチュの岡田利規さんが、アクターとナレーターとキャラクターを溶かしている状態ってものをすでに実践レベルで行ってらっしゃるんですよね。」

 

石倉「5人で始まったけど、途中でどんどん俳優が到着して25人で終わるような感じの演劇ってことですよね。」

 

三橋「ゴールとしてはそうなるかもしれないですね。映画美学校終了公演の『シティキラー』で本橋さんと生西康典さんの対談記事を読んで、生西さんが呼びたい人を呼んで、来た人で昼に稽古をして、夜に本番をやるっていうのを読んで、その話良いなと思ったんですよね。集まれる人でやるってことが。」

 

石倉「なるほど。」

 

牛島「その場合、俳優はプロである必要はあるんですかね。」

 

三橋「そこも考えたいですね。僕が作家で団体の代表という立ち位置だから言っているってのがこれにはあると思います。」

 

石倉「俳優はこれからどうしていくんですかね。ちなみに僕はねマッサージをしようと思ってます。小見くんは?」

 

小見「資格取ろうかなとか考えちゃいますね。」

 

石倉「え、いいじゃん」

 

松崎「さっきの話に戻っちゃうかもだけど、僕は、家族的な共同体がいくつか出来るんじゃないかなって思いますね。」

 

中島「わたしはいいへんじって団体で企画と演出をしているんですけど、今の松崎さんの話みたいな感じで、私たちの生活の中に演劇がある感じというのを大学を卒業したあとはしていこうかなと考えていて、生活の中に演劇がレイヤーとして入っている感じです。今回の情勢的にもそういう社会や生活と付き合いながら、時期が訪れたら稽古をしてお客さんを呼んでって感じにしようと思います。映像でしか演劇を作れないってなるなら、自分たちのスタンスと照らし合わせて違うならやらないし、という感じがいいんじゃないかなって私個人では思います。」

 

石倉「演劇を作るときってオファーって形が発生するじゃないですか。オファーする段階で、スケジュール空いてますか?って聞くけど、今までの演劇というか、普通の演劇は、「スケジュール空いてますよ」って人とやっていくわけじゃないですか。本当にやりたかった人だったはずの最初にオファーした人じゃなくても、スケジュールが空いている人が優先されますよね。」

 

中島「「出演したいけどスケジュール的に出来ない」って一緒に創作をする可能性が絶たれるってこと自体が、今回の機会で考えることになった感じしますね。スケジュールは空いてないけど、問題意識とかが似ていてすごい一緒に創作したいこの人と創作をする形を模索するための機会なんじゃないかなとも思います。空いてないからってスパッと諦める必要がない気がしてきましたね。」

 

石倉「そういうフォーマット欲しいですよね。」

 

中島「そうですね。今は0から作らなきゃいけない状況ですよね。」

 

石倉「うん。みんな待ってる感じもしますね。」

 

中島「「大学を卒業して就職をするから、もう演劇やれない」って言われた時に「そうだよね」としか言えない状況がもどかしいっていうか、自分も新しい形で提案も出来なくて。」

 

石倉「演劇の力ってそういう時に発揮されるはずなんですけどね。」

 

中島「うん。」

 

石倉「誰が決めたわけでもない演劇の在り方ってものが大きくなってしまった感じがしますね。「もっと自由でいいのに。」って、今話していて「あ、そうか」って思いました。」

 

中島「無意識に可能性を狭めているかもしれないですよね。時間とかスケジュールとか身体とか経済的なことも。演劇できないってなっても、今までのやり方だと出来ないけど、別のやり方とかなら出来るんじゃないかなって思いますね。今回はそういう機会になっているんじゃないかな。」

観客の存在と未来を想像すること

 

石倉「やっぱりこの状況だと、無理に発信をしなくてもいい状況ってありますよね。」

 

中島「それは私も思いますね。必ずしも発表とかしなくてもいいかもと思います。意欲とかそういう表現欲求があるなら別ですけどね。演劇ができないから演劇じゃないことをやるのは無理にしなくてもいいと思う。」

 

三橋「YouTuberって考えると理にかなった職業なのかもしれないですね。」

 

中島「たぶんコンテンツを享受する側のわたしたちがスマホを開いて、アプリ開いてって流れがとても生活において自然なんだと思うんだけど、今言ってた理にかなってるってそういうこと?」

 

三橋「そうそう。」

 

宮ヶ原「ここ数日でわたしはYouTubeいらないなって思ってきて、飽和してる感じがしてますね。」

 

石倉「なんでですか。」

 

宮ヶ原「今回の騒動のこととか扱わない感じがしてるんですよ。」

 

石倉「YouTubeって自分でも参加できそうでハードルが低い分、身近に感じられるってところがいいと思うんだけど、騒動のことを扱わなかったりすることとかで、自分の世界との断絶を感じるからそうなるんですかね。」

 

宮ヶ原「確かにそうかもしれないですね。最近アップロードされてた何ヶ月前とかの沖縄旅行をした動画とかを観て、いやぁって思うんですよね。ここ数日で遠くなった感じがして。」

 

河﨑「テレビのバラエティも触れないと思うけどそことは違うんですか。」

 

三橋「テレビは生活背景になっているから、自分でタップして選んだYouTubeの動画と違って、そういう意味では違うかもしれない。」

 

石倉「テレビのバラエティで無観客の収録をしていて、それがあんまり個人的には面白くなかったんですよね。そういうことにもこういう状態だから気づいたんだろうなって。」

 

内田「あの、本橋さんに聞きたいんですけど、『シティキラー』って演劇を映像にしたものだけど、撮っている人も画角の中に映っていて、それが面白くて、演劇を映像にした過程の話をきいてみたいです。ここまで皆さんが話していたのはどちらかと言えば、演劇と映像の分断の話だったと思うんですけど、そこをつなぐことにしたのはどうだったんですかね。」

 

本橋「僕は俳優じゃないから、やってて違いはあんまり分からないんだけど、演劇を映像として捉えることで変化はさせていかなくてはいけないとは思っていましたね。」

 

黒澤「ちょっと、映像に付随してなんですけど、上演記録映像とかってあんまり面白くないかなって自分は思っていて、それは空気感を共有できないからなのかなと思ってます。やっぱり映像は映像のなかで完結しているから感情が動くと思うんです。で、少し話が反転しちゃうかもだけど、俳優としてだったり、全体としても慣れていく必要もあるんじゃないかなとも思いますね。このままの形態じゃいけなくて、映像用の身体にも対応できるようにしたり、いろいろ考えていくことが必要だと思います。」

 

本橋「内田くんに向けて、さっきの話をもう少し話すと、俳優がカメラを認識してカメラにアプローチすることが起きたのは面白いと思いました。映画とかだとあまりないものだけど、カメラをあるものとして扱うことで俳優の身体性はそこまで変容はしなかったけど、そういうことが起きたこととかルールというもの自体が面白いなと思いました。」

 

内田「ありがとうございます。」

 

奥「わたし、このあいだ無観客の演劇の出演をしたんですけど、これチャンスだなとか思ったりもしてたんですね。立地とかの関係で観られない人も観られると思ってたりしたんです。だからネガティブにならずにクリエイションをすることもできたんですけど、映像を観たら画質も綺麗だったんですけど、出演者たちの動きが速くて、結局、引きでの画角での映像になっちゃったんですね。そこで思ったのは映像にはギャップがあるなってことです。多分、映像に残すタイプの演劇というものがあるんじゃないかなって思いました。今回の映像は、お客さんには事実確認でしか伝わらないんだろうなって思っちゃいます。そういうところがショックだっていう体験談です。」

 

松﨑「自分がしんどかった時にYouTubeとかは見れなかったけど、演劇は観に行けてて、そういうところでも映像と演劇を考えるポイントはあるんじゃないかな。」

 

三橋「娯楽と思っているのか心の支え的に思っているのかってところで変わりますよね、きっと。」

 

河﨑「自分はちょっと逆で、しんどかった時期は劇場に行けなかったけど、映画は観れて、重めの映画も観れてたんでやっぱり今のどういう風に思っているかってところで変わってくると思いますね。」

 

本橋「あの、僕は演劇にそこまで思い入れがあるってわけじゃなかったんです、これからの演劇がどうなっていくかとか。でも今日の話を聞いてて自分が思ったのは、演劇ってオポッサムみたいだなって思ってて。オポッサムって十何万年も進化していなくて生き残ってるんですけど、これってなんで生き残ったかって好き嫌いをしなかったからなんですよね。ゴミでもなんでも。演劇もそうだなって思うんですよね。だから好き嫌いなんてしなくて良くて、地面這いつくばってでも色んなこと考えて続けて行けたらなって思ったって話です。内田くんはどう?」

 

内田「僕は、この感じがもし一年とか続いて、そして一年後に劇場が再開してその時にみんながまた出会ったら、改めて人の身体と身体が出会って生まれる演劇の面白さって自分たちも観客も見つめ直せるチャンスなんじゃないかって思いますね。だから今は勉強とか技術を培うべきだと思いますね。集まらなくては出来ないものだと演劇を認めた上で、選択肢として映像と接続していくべきなんじゃないかなとか、自分たちの劇団の集まりを見つめ直す機会としてとか、自分は楽観的に考えてますね。」

 

牛島「僕は、どうしてまだ演劇を劇場でやるのかってところも見直されていくんじゃないかなって思いますね。社会的にも民衆的にも説明っていうか理解を得ないといけないってところが課題になりそうでこれからは大変ですね。」

 

三橋「他の方はどうですか?」

 

落合「今回の話を聞いていて考えていて、今回中止になることが決まりかけてたころから思っていたことがあったんですけど、自分はよく音響として演劇に携わるんですね、私のような技術スタッフは、今回のようなタイミングでどのように関わっていけばいいのだろうかって思いました。」

 

大川「今日は、みんなが同じ方向を向くことが大切なんだと思いました、少し楽観的かもですけど。私はみんなが考えていることがいい方向に向くことを願ってます。」

 

並木「今日の時間を共有して感想としてなんですけど、これから、みなさんが考えていることが発表されることを、一ファンとして楽しみにしています。」

三橋「みなさんここまで長い時間お付き合いいただき、本当に本当にありがとうございました。これにて譜面絵画vol.10『郷愁という惑星?』関連企画「今を振るまうために、」を終わりにしたいと思います。ありがとうございます、お疲れ様でした。」

以上です。

お読みいただきありがとうございました。

こちらのイベントは2020年3月29日におこなわれました。

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